子を持つ親として想うこと。

  • 子を持つ親として想うこと。

普段何気なく生活する中で、明日がやってくるのが当たり前、仕事から家に帰ったら家族が待っている。すでに布団でスヤスヤ寝ている状況があたりまえ…。

当たり前の日常。

毎日変わらず、当たり前のように日常を過ごす。そんな日常が突然変わってしまうこともある…幸せな時間はいきなり失ってしまうこともある。

そんなことを感じたここ数日です。

当たり前の日常を過ごす中、保育園に子供を預けて仕事に出て、時間になったら子供を迎えに行って、晩御飯の支度をしてしてお風呂に入れて寝かす。朝が来る。

そんな当たり前が、いきなり事故によって失われてしまう怖さ。

どこにいても危険が伴い、安全は確保されない。いつ自分に、自分の家族に同じ恐怖が襲いかかるかもしれない。

自分が一緒にいるときは、何かあったら身体を張ってでも守る。自分は犠牲になってでも家族は助かるようにする、

誰もがそのような意思や想いを持っていると思うけど、自分がいない中で起こる事に対しては結果しか見ることができません。

何が正解なのかはわかりませんが、命は小さい子供も大人も同じ大事なもののです。

でも、今回のような小さな命子どもの命が巻き添えになり、将来を断たれてしまう事。

親として、どうしようもなく結果だけを突きつけられる現実。

本当に怒りをぶつける矛先がなく、ただただ現実にむきあえずに、何故我が子なのだろうと悲しみに満ち、怒りに満ち、現実と向き合うことがままならない状況下かと思います。

どうかメデイアはこの事件のことを根掘り葉掘り情報収集して、あれやこれや報道するので話はなく、このような悲しい事故を再発させない為の施策について報じてほしい。

どうか、家族の皆様に心労を与えない配慮をしてほしい。

小さな子供の命が絶たれるニュース、報道が多い中、他人事とは思えない方が多いかと思います。僕もその1人です。

ただ一方で、仕事の関係で保育園に預けないといういけない御家庭の事情(我が家もそうです)もあります。

預けずに毎日を過ごしてても、こちらがいくら細心の注意を払っていても、今回のように注意していても起こることがあります。

今回の事故も、保育士の皆さんは、子どもの安全を最優先に行動していても事故に巻き込まれてしまった。

「誰も悪くない」

子どものことを守るために一番安全な方法で散歩をしていても、突然の事故、想定外の事故にはなにもできない。ただただ結果を知り、悲しみや後悔するしかない。

自分は家族を守る決意は強いが、想定外の事故に対して、咄嗟に何かできるか?

というと、答えは「わからない」。

守る意思、身体を張ってでも守る想いはあるけど、身体が即座に反応するかと言うと、100%守りきれるとは言い切れない。

今回の事故、小さな子供を持つ親として他人事とは思えないし、ご遺族の方々の気持ちは推し量れないほど辛い、悲しみ、悔しさで一杯かとおもいます。

報道されるニュースを見る僕でさえ、何故…という気持ちが未だに抱いています。

あなたはどう想いますか?